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ふるさと紀行



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ふるさと紀行 銚子・波崎

この地方をむかしは冗談でチバラキ県といっていた。千葉県と茨城県の境目で、一定の文化圏をつくり栄えていたのだが・・・。街並みは年々さびれているようだ。

坂東太郎(利根川)をはさみ銚子大橋が対岸の茨城にかかっている。橋の無い時代は巡航船が交通手段だった。小生もこの船に乗って「お山の高校」に通学したのだった。

犬吠埼灯台、君ケ浜は昔のままだが屏風ケ浦の眺望には失望した。白い断崖絶壁が何キロにも連なって東洋のドーバー海峡といわれていたが、今は白い岩壁は影もなく黒く変色していた。

海岸一帯は昔からモヤがでてあたりの景色が見えなくなったものだ。海流の関係らしい。友人のベタやんがメールで貴重な体験を語ってくれた。

「中学か高校の時、砂浜で洋服を脱ぎ、泳ぎ終わって、砂浜に上がって来たら洋服が無い。探しまわったら100メートル程ズレた所にありました。知らないうちに鹿島の方に流されていました。

波崎の波はグルグル回っているので、泳いでる間に流されたのを気がつかなかったんですね。」(笑)

 

昔の屏風ヶ浦の眺望はこんなでした

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http://photozou.jp/photo/show/113881/6943421

 

 

君ヶ浜の林間には銚子生まれの文豪「国木田独歩」の碑があり、次の句が彫られている。

なつかしき我がふるさとは何処ぞや
彼処にわれは山林の児なりき